2013年4月6日土曜日

アイヌほか遺骨の情報の全面公開を!―京都大学への取り組み


昨年4月以来、アイヌ・ラマット実行委員会では、京都大学が盗掘・収集したアイヌ民族や他民族の遺骨・遺体に関して情報の公開を求めてきました。今年2月には、京都大学・アイヌ人骨保管状況等調査ワーキンググループが文科省に報告した『大学等におけるアイヌの人骨の保管状況等に関する調査 調査票』を含む『アイヌ人骨保管状況等調査ワーキング報告書』(2012年12月)の全面開示に関して合意を確認できました。また3月28日には、文科省から京大に公開を承諾する旨の回答がありました。

同日、北海道大学も『北海道大学医学部アイヌ人骨収蔵経緯に関する調査報告集』(2013年3月21日)を北海道アイヌ協会に報告し、記者会見を行っていますが、京大での公開の取り組みの影響を実感しています。

しかし、北大は記者会見で「保管に問題はあったが、収集は適切であった」などとし、報告集でも文科省の調査票の形式をとりつつ、遺骨の帰属年代、副葬品、保管方法等の重要な欄を省いているなど徹底した責任回避の姿勢を取っているようです。こうした大学(加害者)のありようをみると、調査の信頼性への懸念は払しょくできず、被害者であるアイヌ民族・団体が直接関与できる調査権限が付与されるべきです。

同報告書によれば、京大のワーキンググループでは遺骨の保管状況の調査の他に学外からの問合わせ・要請等への対応の体制・規範作り、返還・集約の要請に対する基本方針の策定など議論され、北大に出向き「保管体制の調査打ち合わせ」(2011年)「現状の保管体制を踏まえ、文科省調査への対応方針や調査中盤、終盤での大学の方向性の打ち合わせ」(2012年)が行われているようです。東大とも「進捗状況や大学の方向性への打ち合わせ」が行われています。調査において、「対応」の議論・打ち合わせより、まず自ら直接アイヌ民族に向き合いその声に耳を傾ける努力が行われなかったことが残念です。

京大の保管するアイヌ遺骨の大半は1920年代に清野謙次教授(京大医学部)が盗掘・収集したものですが、文科省に提出した調査票では、出土地別の概略は、樺太54体(内2体が経緯不明)、真岡郡(樺太)4体、厚岸5体、根室18体、釧路4体、網走4体、不明5体の94体で個体の特定のできないもの1です。帰属年代はほぼ江戸・明治期とされており、それぞれの副葬品の有無と内容の記述があり、「個人特定」はすべて否です。遺骨の鑑定は外部の鑑定人による鑑定が行われたようです。

清野は保管する遺骨の「人骨目録」(『古代人骨の研究に基づく日本人種論』)を作成していますが、上記の遺骨は「人骨目録」のアイヌ遺骨とほぼ一致します。しかし、不一致もあり、犠牲になった遺骨の数の確定もできません。また「人骨目録」の「第1、石器時代(先史時代)人骨目録 合計708例」の分類にあるアイヌモシリを出土地とする27体の遺骨(アイヌ遺骨全体で115体)が省かれています。これも先住民族アイヌに帰属する遺骨です。

 京大での情報公開は、当初、公開できる生資料(法人文書)がないとの対応でした。しかし、独自の調査に基づいて指摘を繰り返し、担当者の努力もあって唯一でてきた生資料が、清野の作成した『人骨番号』の第1号~第750号です。こうした過程で、教授の退官などで無視できない資料が学外に流出していることを実感しています。アイヌ政策推進会議や大学がこれをもって「個人特定」まで求める調査の終了とするならば、「アリバイづくり」との批判を甘んじて受けなければなりません。こうした経過の上で、昨夏の段階で京大は保管するアイヌ遺骨を80数体としていましたが、調査票では94体ほかとなっています。

京都大学では遺骨調査のワーキンググループが組織されましたが、他大学ではないとのことです。多くの大学・学者が資料の公開に消極的であり、また遺骨が博物館に移されれば、博物館にある資料は法人文書とならず情報公開を拒めます。(「慰霊・研究施設」も)文科省の調査には11の大学がアイヌ遺骨の存在を報告していますが、どれだけの調査が行われ、その結果はどれだけの信頼性があるのか?まず結果を全面公開すべきです。学者、政策担当者が「人骨」を研究資料として扱うのではなく、真に遺骨として扱い、自らの責任を果たし、反省(謝罪)をもってきちんとアイヌ民族に向き合い、犠牲となったアイヌの先祖をコタンに戻す努力こそ求められています。

京都大学には金関丈夫教授の1927年12月~1928年1月の琉球での人類学調査、1934年~1940年の以下の三宅宗悦教授・奄美大島80体、沖縄本島約80体、大島郡竹島硫黄島、三宅・中山英司教授・喜界島2回調査70体(1回目)、徳之島約80体の遺骨に関して情報公開を求めています。