加害責任の隠蔽と免罪
-京都大学・文科省のアイヌ遺骨の情報公開の取り組みから-
アイヌ・ラマット実行委員会 共同代表 出 原 昌 志
政府のアイヌ対策の見直しが、アイヌ政策推進会議を軸として進められているが、日ごとに先住民族アイヌの権利回復につながる歴史認識が歪められ封殺されていっているとの思いがあります。現在のアイヌ遺骨をめぐる動きも、その最も象徴的な問題のひとつであり、アイヌ・ラマット実行委員会では謝罪・賠償と慰霊、そして遺骨のコタンへの返還などを主張し求めてきました。そのために、大学らが収集・保管しているアイヌ民族の遺骨及び人体組織などの調査を行い、遺骨保管の実態を明らかにするべく京都大学を皮切りに文科省などへの取り組みを行い、アイヌ遺骨を保管する全ての大学の『調査票』を公開させてきました。
●生資料がない!
文科省は各国公私立大学らに対して2011年11月24日付文書で2012年12月25日を期限に『大学等におけるアイヌの人骨の保管状況等に関する調査票』の提出を求めました。
京大は、こうしたアイヌ遺骨をめぐる動きへの対策として「アイヌ人骨保管状況等調査ワーキング」を設け、3回(2011年10月、2012年1月、2012年12月)会議を開催しました。会議時間は各1時間ほど。また2012年2月~4月30日までを期限として各部局に対して調査の実施を指示し、総合博物館からアイヌ遺骨と副葬品の存在が報告されています。すでに京大などでは、日本人類学会がアイヌ遺骨に関する調査を行っており、約80体の「人骨標本リスト」が作成されていました。
そうした中で、2012年4月、私たちが京大に対してアイヌ遺骨などに関する法人文書の開示請求を行いました。当初、京大の情報公開担当者から開示請求の内容の確認や開示時期延長などの連絡があり、開示すべき文書が見つからない旨の報告がありました。こちらから資料の指摘等を繰り返して、ようやく6月になって出てきたのが1920年代にアイヌ遺骨を盗掘した清野謙次教授の作成した発掘年月日・発掘地などが記された「人骨標本番号毎に記録された文書」です。ただし、見つかったのはそれの一部で、人骨標本番号第1号から第750号までのものでした。
●京都大学の資料隠しー加害責任の隠蔽
私たちが請求したのはアイヌ民族、琉球民族、アジア・太平洋の諸民族の遺骨及び人体組織に関する文書であり、当事居住していた東京から京大に出向き、開示されたアイヌ遺骨に関する63葉を受け取り調査状況を確認しました。
ところが、その開示された文書と私たちの収集した資料を照合すると、 「現代沖縄人骨」1体とアイヌ遺骨6体に関する文書が省かれていることが明らかになりました。
「現代」の沖縄人遺骨など、彼らが歴史的な加害責任の追及を避けるために意図的に文書を省いたことは即座に実感できました。京大には「あなたたちが、どのような人骨標本番号の文書を省いているかはわかっている。こうしたことをするならば、こちらも他の手段での公開を求めるしかない」と抗議し、改めて京大に出向いてすべての文書の公開を求めました。京大は「単純ミス」と謝罪しましたが、彼らが省いた文書のアイヌ遺骨6体は、京大の提出した「調査票」からぬけている人骨番号と見事に符号しています。すなわち清野が盗掘を行ったが、その遺骨が現在京大に存在していない。行方不明(?)であることを示すものです。
私たちに公開した文書の中にも一部、同様に「調査票」に人骨番号のないものもありますが、他の文書の発掘地が「(地名)・・・墓地」と記述されているのに比して、それらはすべて「(地名)・・・貝塚」と記述されています。「貝塚」なら責任が軽い?
これ以降、情報公開担当者が、学者が提供するものの橋渡しだけでなく、こちらが指摘した場所、資料に直接出向いて調査し、その結果の報告をうけて調査を重ねる。またワーキングの副学長にその調査報告が行われ、諸判断が行われました。
京大は全学調査後も「アイヌ遺骨約80体」との認識でした。しかし、清野の作成した「人骨目録」には112体のアイヌ遺骨の存在があり、「人間の遺骨を犬猫同様に扱っていなければ、必ず資料はあるはず」と繰り返し調査を求めました。京大の「調査票」で最終的に94体となったのは、こうした取り組みが無縁ではないと思っています。
前述した第1回「ワーキング」では、遺骨の保管状況の調査の他に学外からの問合わせ・要請等への対応の体制・規範作り、返還・集約の要請に対する基本方針の策定、そして「広報と連携し窓口を一本化するとともに統一的対応が取れる体制の構築」「収集・保管してきたことに対する大学の考え方を整理」など、まさに「対策」が議論されています。その上で、上記の資料隠し・加害責任の隠蔽が行われています。アイヌ民族に対する真摯な謝罪や責任を直視する姿勢が根幹に座っていなければ、上記の議論、「統一的対応」がこういう結末となります。
私たちの約1年間の取り組みの上で、京大の「調査票」(『アイヌ人骨保管状況等ワーキング報告書』)を公開させることができ(推進会議に概要が公表されたのは半年後)、全ての大学の「調査票」の公開につながりました。(http://asahikawaramat.blogspot.jp/参照)
●このような調査で、なぜ免罪?
こうした取り組みを重ねた私たちにとって、ある日、新聞に目を疑う記事が掲載されました。北海道アイヌ協会・加藤理事長の京大は人権を尊重したすばらしい調査をしてくれた旨のコメントです。これで免罪?
京大のアイヌ遺骨の『報告書』はほとんどが政府や文献の資料を寄せ集めたもので、謝罪や歴史的反省は言うに及ばず、遺骨の出自や入手経緯の詳しい説明などの文章は皆無です。そして何より、清野の人骨目録と照合して18体もの遺骨が「行方不明」であり、その遺骨について報告書は一行も触れていません。研究資料としての人骨の整理としか呼べないものです。こうしたことは日本人の責任として痛苦な思いですが、これを免罪するならば、決して先祖の蹂躙された尊厳の回復と慰霊、遺骨特定や盗掘の真相の究明にはつながりません。
●先住民族アイヌの権利回復を!
昨年12月、文科省からアイヌ遺骨の存在する全「調査票」とともに、昨年9月の第5回アイヌ政策推進会議に提出された調査結果(概要)をとりまとめた「意見交換会」の資料も引き出すことができました。そこでは文科省がとりまとめて用意した2種類(A4版2枚とA4版5枚)の調査結果が提示され、その結果、各大学別の遺骨数などを掲載した5枚の「調査結果」が選択されませんでした。
近代化に対応できないアイヌが自ら土地とアイヌ語を失ったとする「有識者懇談会報告書」の歴史認識、アイヌ遺骨問題の真相究明にフタをする動き。
いま文科省はアイヌ遺骨返還のガイドライン作成の作業を行っていますが、根幹は推進会議の「慰霊と研究」方針が決まっており、「下請け」意識が強い。同じく当事者意識の希薄な各大学も推進会議座長である北大に追随している。私たちは人種差別撤廃委員会の勧告実現!審議会設置!と国連宣言に基づく権利回復を追求してきましたが、アイヌ遺骨問題の帰趨は、政府・推進会議をターゲットとする権利回復の闘いと私たちが自らの歴史を取り戻す取り組みの進展にかかっていると実感します。
国連人種差別撤廃委員会の勧告実現!001
国連人種差別撤廃委員会の勧告実現!002
2・18「アイヌ政策を考える国会議員とアイヌ民族の集い」2・19「国連人種差別撤廃委員会の勧告実現!-先住民族アイヌの権利回復・審議会の設置を!「在日」・』沖縄
2・19国連人種差別撤廃委員会の勧告を実現!集会チラシ
2・19集会の呼びかけ人・賛同団体・個人
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