2014年4月26日土曜日

『ウレシパ・チャランケ』NO.45 / 2014年4月12日(発行・先住民族とともに人権・共生・未来を考える会)の原稿

加害責任の隠蔽と免罪
-京都大学・文科省のアイヌ遺骨の情報公開の取り組みから-

アイヌ・ラマット実行委員会 共同代表  出 原 昌 志

 政府のアイヌ対策の見直しが、アイヌ政策推進会議を軸として進められているが、日ごとに先住民族アイヌの権利回復につながる歴史認識が歪められ封殺されていっているとの思いがあります。現在のアイヌ遺骨をめぐる動きも、その最も象徴的な問題のひとつであり、アイヌ・ラマット実行委員会では謝罪・賠償と慰霊、そして遺骨のコタンへの返還などを主張し求めてきました。そのために、大学らが収集・保管しているアイヌ民族の遺骨及び人体組織などの調査を行い、遺骨保管の実態を明らかにするべく京都大学を皮切りに文科省などへの取り組みを行い、アイヌ遺骨を保管する全ての大学の『調査票』を公開させてきました。
●生資料がない!
文科省は各国公私立大学らに対して20111124日付文書で20121225日を期限に『大学等におけるアイヌの人骨の保管状況等に関する調査票』の提出を求めました。
京大は、こうしたアイヌ遺骨をめぐる動きへの対策として「アイヌ人骨保管状況等調査ワーキング」を設け、3回(201110月、20121月、201212月)会議を開催しました。会議時間は各1時間ほど。また20122月~430日までを期限として各部局に対して調査の実施を指示し、総合博物館からアイヌ遺骨と副葬品の存在が報告されています。すでに京大などでは、日本人類学会がアイヌ遺骨に関する調査を行っており、約80体の「人骨標本リスト」が作成されていました。
そうした中で、20124月、私たちが京大に対してアイヌ遺骨などに関する法人文書の開示請求を行いました。当初、京大の情報公開担当者から開示請求の内容の確認や開示時期延長などの連絡があり、開示すべき文書が見つからない旨の報告がありました。こちらから資料の指摘等を繰り返して、ようやく6月になって出てきたのが1920年代にアイヌ遺骨を盗掘した清野謙次教授の作成した発掘年月日・発掘地などが記された「人骨標本番号毎に記録された文書」です。ただし、見つかったのはそれの一部で、人骨標本番号第1号から第750号までのものでした。
京都大学の資料隠しー加害責任の隠蔽
私たちが請求したのはアイヌ民族、琉球民族、アジア・太平洋の諸民族の遺骨及び人体組織に関する文書であり、当事居住していた東京から京大に出向き、開示されたアイヌ遺骨に関する63葉を受け取り調査状況を確認しました。
ところが、その開示された文書と私たちの収集した資料を照合すると、 「現代沖縄人骨」1体とアイヌ遺骨6体に関する文書が省かれていることが明らかになりました。
「現代」の沖縄人遺骨など、彼らが歴史的な加害責任の追及を避けるために意図的に文書を省いたことは即座に実感できました。京大には「あなたたちが、どのような人骨標本番号の文書を省いているかはわかっている。こうしたことをするならば、こちらも他の手段での公開を求めるしかない」と抗議し、改めて京大に出向いてすべての文書の公開を求めました。京大は「単純ミス」と謝罪しましたが、彼らが省いた文書のアイヌ遺骨6体は、京大の提出した「調査票」からぬけている人骨番号と見事に符号しています。すなわち清野が盗掘を行ったが、その遺骨が現在京大に存在していない。行方不明(?)であることを示すものです。
私たちに公開した文書の中にも一部、同様に「調査票」に人骨番号のないものもありますが、他の文書の発掘地が「(地名)・・・墓地」と記述されているのに比して、それらはすべて「(地名)・・・貝塚」と記述されています。「貝塚」なら責任が軽い?
これ以降、情報公開担当者が、学者が提供するものの橋渡しだけでなく、こちらが指摘した場所、資料に直接出向いて調査し、その結果の報告をうけて調査を重ねる。またワーキングの副学長にその調査報告が行われ、諸判断が行われました。
京大は全学調査後も「アイヌ遺骨約80体」との認識でした。しかし、清野の作成した「人骨目録」には112体のアイヌ遺骨の存在があり、「人間の遺骨を犬猫同様に扱っていなければ、必ず資料はあるはず」と繰り返し調査を求めました。京大の「調査票」で最終的に94体となったのは、こうした取り組みが無縁ではないと思っています。
前述した第1回「ワーキング」では、遺骨の保管状況の調査の他に学外からの問合わせ・要請等への対応の体制・規範作り、返還・集約の要請に対する基本方針の策定、そして「広報と連携し窓口を一本化するとともに統一的対応が取れる体制の構築」「収集・保管してきたことに対する大学の考え方を整理」など、まさに「対策」が議論されています。その上で、上記の資料隠し・加害責任の隠蔽が行われています。アイヌ民族に対する真摯な謝罪や責任を直視する姿勢が根幹に座っていなければ、上記の議論、「統一的対応」がこういう結末となります。
私たちの約1年間の取り組みの上で、京大の「調査票」(『アイヌ人骨保管状況等ワーキング報告書』)を公開させることができ(推進会議に概要が公表されたのは半年後)、全ての大学の「調査票」の公開につながりました。(http://asahikawaramat.blogspot.jp/参照)
このような調査で、なぜ免罪?
こうした取り組みを重ねた私たちにとって、ある日、新聞に目を疑う記事が掲載されました。北海道アイヌ協会・加藤理事長の京大は人権を尊重したすばらしい調査をしてくれた旨のコメントです。これで免罪?
京大のアイヌ遺骨の『報告書』はほとんどが政府や文献の資料を寄せ集めたもので、謝罪や歴史的反省は言うに及ばず、遺骨の出自や入手経緯の詳しい説明などの文章は皆無です。そして何より、清野の人骨目録と照合して18体もの遺骨が「行方不明」であり、その遺骨について報告書は一行も触れていません。研究資料としての人骨の整理としか呼べないものです。こうしたことは日本人の責任として痛苦な思いですが、これを免罪するならば、決して先祖の蹂躙された尊厳の回復と慰霊、遺骨特定や盗掘の真相の究明にはつながりません。
先住民族アイヌの権利回復を!
昨年12月、文科省からアイヌ遺骨の存在する全「調査票」とともに、昨年9月の第5回アイヌ政策推進会議に提出された調査結果(概要)をとりまとめた「意見交換会」の資料も引き出すことができました。そこでは文科省がとりまとめて用意した2種類(A42枚とA45枚)の調査結果が提示され、その結果、各大学別の遺骨数などを掲載した5枚の「調査結果」が選択されませんでした。
 近代化に対応できないアイヌが自ら土地とアイヌ語を失ったとする「有識者懇談会報告書」の歴史認識、アイヌ遺骨問題の真相究明にフタをする動き。

 いま文科省はアイヌ遺骨返還のガイドライン作成の作業を行っていますが、根幹は推進会議の「慰霊と研究」方針が決まっており、「下請け」意識が強い。同じく当事者意識の希薄な各大学も推進会議座長である北大に追随している。私たちは人種差別撤廃委員会の勧告実現!審議会設置!と国連宣言に基づく権利回復を追求してきましたが、アイヌ遺骨問題の帰趨は、政府・推進会議をターゲットとする権利回復の闘いと私たちが自らの歴史を取り戻す取り組みの進展にかかっていると実感します。

国連人種差別撤廃委員会の勧告実現!001



国連人種差別撤廃委員会の勧告実現!002


2・18「アイヌ政策を考える国会議員とアイヌ民族の集い」2・19「国連人種差別撤廃委員会の勧告実現!-先住民族アイヌの権利回復・審議会の設置を!「在日」・』沖縄


2・19国連人種差別撤廃委員会の勧告を実現!集会チラシ


2・19集会の呼びかけ人・賛同団体・個人


2014年2月5日水曜日

アイヌ遺骨保管大学の追加



岡山理科大学から新たに一体のアイヌ遺骨保管の報告があり、現時点では、アイヌ遺骨は12大学1636体となりました。しかしこれで全て?北海道大学はじめ遺骨の保管のずさんさは明らかになっています。


調査票を掲載します。


調査票(岡山理科大学).pdf

2014年1月29日水曜日

アイヌ遺骨問題の議論を封じる?文科省の調査結果の推進会議への報告


20111124日付で文部科学省は各大学等に対して「アイヌの人々の人骨の保管状況の調査について」を指示して調査を実施しました。その調査結果は2012年末までに文科省に届けられています。しかし、各大学の回答である「調査票」は一般には公開されず、アイヌ政策推進会議にも9ヶ月に渡って一切公開されてきませんでした。一部公開が決定されたのは、昨年328日に私たちの京大への取り組みで文科省が公開を決定したときでした。(ブログ参考)同日、北大も報告書を公開しましたが、調査票にある副葬品の項目などは削除されたものでした。
●今回、昨年11月に文科省とのやりとりを行い、その上で情報公開の手続きをとりアイヌ遺骨を保管している11大学、そして九州大学の12大学からの調査票並びに文科省に設置された「大学等におけるアイヌの人々の人骨保管状況の調査結果取りまとめに関する意見交換会」の資料が公開されました。
この「意見交換会」は「調査結果の整理及び公表にむけたとりまとめ」を行うために設置されましたが、委員は加藤忠(北海道アイヌ協会理事長)、佐藤幸雄(同主任)、常本照樹(北大アイヌ・先住民研究センター長)、金澤英作(日本大学名誉教授)、中橋孝博(九州大学名誉教授)、内閣官房アイヌ総合政策室、文科省高等教育局高等教育企画課長、文科省研究振興局学術機関課長で構成されています。
この意見交換会は昨年4月・6月の2回の会議の結果、昨年911日の第5回アイヌ政策推進会議に平成256月付「大学等におけるアイヌの人々の遺骨の保管状況の調査結果(概要)」(A4版・2P)が提出されました。推進会議の委員に調査結果が公表されたのはこれのみです。
 ところが資料を見ていただくとわかりますが、昨年6月の第2回意見交換会には、同タイトルで「会議後回収」と明記された「調査結果」が2種類(A42枚とA45枚!)用意されており、なんと調査結果の内訳等がより具体的に認識できる「調査結果」が没にされて、内容のおおまかな「調査結果」が推進会議に提出されました。一体全体どうなっているのか。遺骨の調査であることの趣旨を踏まえて、なぜ、そのような選択が行われたかまったく理解できませんし、合理的な理由はみつけられません。みなさんはいかがでしょうか?アイヌ遺骨問題の議論の活発化や調査結果をできるだけ具体的に知らせない意図があるのではと疑うのはうがった見方でしょうか。アイヌ政策推進会議の委員でもある同会議を仕切る委員には聞いてみたいものです。
●しかし、まだアイヌ遺骨があると報告されながら公開されていない調査票があります。推測ではアイヌ遺骨問題に関する文科省のガイドラインでどのように扱うかさらに検討が必要な事情のある遺骨に関する調査票だと考えられます。あるいは新たな大学か?いずれにせよ、ずさんな遺骨管理の結果であることが想像できます。
●「アイヌ人骨はない」と回答した九州大学の調査票の公開を求めたのは、九州大学には北大医学部で児玉教授の前任者であった平光教授が転任しましたが、その際に解剖中のアイヌの遺体5体を九州大学にもってゆき、弟子も含めて約20本の論文が発表されています。そうした事実があるにもかかわらず「無い」で済ますことのできる文科省の調査自体の根本的な問題が問い直されなくてはなりません。

2013年4月16日火曜日

「人骨標本整理」にとどまる文科省調査―北大はアイヌ遺骨盗掘の事実を全面否定!


●すでに周知のように、201111月、文部科学省は『アイヌの人々の人骨の保管状況の調査について』(200111124日付)を各国公私立大学らに送付し、20121225日までに『大学等におけるアイヌの人骨の保管状況等に関する調査 調査票』を提出することを求めた。その結果、11大学がアイヌ民族の遺骨を保管していると報告している。
 こうしたアイヌ遺骨調査においては、アイヌ墳墓盗掘などの実態の解明こそが犠牲となったアイヌ民族の先祖への最低限の敬意であり、そうした徹底した歴史的調査が行われなければ遺骨の個人特定など不可能です。ところが、文科省の調査ではそうした観点は欠落しており、研究資料としての人骨標本整理に止まっています。(資料参照)さらに調査結果は公表されておらず、報道では記述方法のばらつきを同省が整理しているとのことで、今後、各大学別の実態がそのまま公表されるのか否かも不明です。

●そうした中で、北海道大学はアイヌ遺骨問題の最大の加害者であり、アイヌ政策推進会議の2つの作業部会の座長も独占してきましたが、328日、『北海道大学医学部アイヌ人骨収蔵経緯に関する調査報告書』(2013321日)に基づき記者会見を行いました。そこで、「北大の三上隆副学長は『土地の所有者からは承諾を得ており、研究者の報告書からも盗掘を裏付ける資料はなかった』」(『毎日』329日)とアイヌ墳墓盗掘の事実など全面否定しました!遺骨返還に関しても「個人が特定された遺骨は祭祀継承者に返すが、他大学と足並みをそろえたい」(同記事)として、これまで5回にわたって遺骨返還に至った自らの責任を撤回しかねない姿勢です(旭川・釧路・帯広・三石・厚賀・門別/総数35体)。この驚くべき居直りは、単に北大に止まらずに、アイヌモシリ植民地支配の象徴的問題である遺骨問題において、その歴史的真実と加害責任の追及を封殺する意図が込められたものと思えます。記者からは「11つの墓の所有者から承諾書を得ているのか」との追及・質問があったようですが、北大は「それは不明」と回答しています。

●きたる419日には、第11回アイヌ政策推進会議作業部会が開かれ、文科省から「アイヌの人々の人骨の保管状況」の調査結果が報告されます。どのような調査結果が報告されるのでしょうか。アイヌ遺骨調査が今回の調査に止まり、後は「慰霊・研究施設」に遺骨を収納して、上記のような反省なき研究者の研究資料として活用させてそれで済むとするならば、これほど先祖の尊厳が再び蹂躙され侮辱されることはありません。私たちはこうした事態は許しません。政府と大学らは、アイヌ民族が直接関与する調査体制をつくり、アイヌ遺骨の出自や収集経過などの歴史的事実を真摯に調査・追及しなければなりません。そして、遺骨をコタンに返還する条件の整備や賠償などその責任をとらねばなりません。真実の調査によって、このアイヌ民族に対する差別と人権蹂躙の歴史の実態が明らかにされ、加害責任が果たされてこそ、犠牲となった先祖の名誉と尊厳の回復となります。









2013年4月6日土曜日

アイヌほか遺骨の情報の全面公開を!―京都大学への取り組み


昨年4月以来、アイヌ・ラマット実行委員会では、京都大学が盗掘・収集したアイヌ民族や他民族の遺骨・遺体に関して情報の公開を求めてきました。今年2月には、京都大学・アイヌ人骨保管状況等調査ワーキンググループが文科省に報告した『大学等におけるアイヌの人骨の保管状況等に関する調査 調査票』を含む『アイヌ人骨保管状況等調査ワーキング報告書』(2012年12月)の全面開示に関して合意を確認できました。また3月28日には、文科省から京大に公開を承諾する旨の回答がありました。

同日、北海道大学も『北海道大学医学部アイヌ人骨収蔵経緯に関する調査報告集』(2013年3月21日)を北海道アイヌ協会に報告し、記者会見を行っていますが、京大での公開の取り組みの影響を実感しています。

しかし、北大は記者会見で「保管に問題はあったが、収集は適切であった」などとし、報告集でも文科省の調査票の形式をとりつつ、遺骨の帰属年代、副葬品、保管方法等の重要な欄を省いているなど徹底した責任回避の姿勢を取っているようです。こうした大学(加害者)のありようをみると、調査の信頼性への懸念は払しょくできず、被害者であるアイヌ民族・団体が直接関与できる調査権限が付与されるべきです。

同報告書によれば、京大のワーキンググループでは遺骨の保管状況の調査の他に学外からの問合わせ・要請等への対応の体制・規範作り、返還・集約の要請に対する基本方針の策定など議論され、北大に出向き「保管体制の調査打ち合わせ」(2011年)「現状の保管体制を踏まえ、文科省調査への対応方針や調査中盤、終盤での大学の方向性の打ち合わせ」(2012年)が行われているようです。東大とも「進捗状況や大学の方向性への打ち合わせ」が行われています。調査において、「対応」の議論・打ち合わせより、まず自ら直接アイヌ民族に向き合いその声に耳を傾ける努力が行われなかったことが残念です。

京大の保管するアイヌ遺骨の大半は1920年代に清野謙次教授(京大医学部)が盗掘・収集したものですが、文科省に提出した調査票では、出土地別の概略は、樺太54体(内2体が経緯不明)、真岡郡(樺太)4体、厚岸5体、根室18体、釧路4体、網走4体、不明5体の94体で個体の特定のできないもの1です。帰属年代はほぼ江戸・明治期とされており、それぞれの副葬品の有無と内容の記述があり、「個人特定」はすべて否です。遺骨の鑑定は外部の鑑定人による鑑定が行われたようです。

清野は保管する遺骨の「人骨目録」(『古代人骨の研究に基づく日本人種論』)を作成していますが、上記の遺骨は「人骨目録」のアイヌ遺骨とほぼ一致します。しかし、不一致もあり、犠牲になった遺骨の数の確定もできません。また「人骨目録」の「第1、石器時代(先史時代)人骨目録 合計708例」の分類にあるアイヌモシリを出土地とする27体の遺骨(アイヌ遺骨全体で115体)が省かれています。これも先住民族アイヌに帰属する遺骨です。

 京大での情報公開は、当初、公開できる生資料(法人文書)がないとの対応でした。しかし、独自の調査に基づいて指摘を繰り返し、担当者の努力もあって唯一でてきた生資料が、清野の作成した『人骨番号』の第1号~第750号です。こうした過程で、教授の退官などで無視できない資料が学外に流出していることを実感しています。アイヌ政策推進会議や大学がこれをもって「個人特定」まで求める調査の終了とするならば、「アリバイづくり」との批判を甘んじて受けなければなりません。こうした経過の上で、昨夏の段階で京大は保管するアイヌ遺骨を80数体としていましたが、調査票では94体ほかとなっています。

京都大学では遺骨調査のワーキンググループが組織されましたが、他大学ではないとのことです。多くの大学・学者が資料の公開に消極的であり、また遺骨が博物館に移されれば、博物館にある資料は法人文書とならず情報公開を拒めます。(「慰霊・研究施設」も)文科省の調査には11の大学がアイヌ遺骨の存在を報告していますが、どれだけの調査が行われ、その結果はどれだけの信頼性があるのか?まず結果を全面公開すべきです。学者、政策担当者が「人骨」を研究資料として扱うのではなく、真に遺骨として扱い、自らの責任を果たし、反省(謝罪)をもってきちんとアイヌ民族に向き合い、犠牲となったアイヌの先祖をコタンに戻す努力こそ求められています。

京都大学には金関丈夫教授の1927年12月~1928年1月の琉球での人類学調査、1934年~1940年の以下の三宅宗悦教授・奄美大島80体、沖縄本島約80体、大島郡竹島硫黄島、三宅・中山英司教授・喜界島2回調査70体(1回目)、徳之島約80体の遺骨に関して情報公開を求めています。











2012年4月29日日曜日

アイヌ副読本問題「抗議並びに申し入れ」


2012年4月26日
国土交通大臣  前田 武志 様
(財)アイヌ文化振興・研究推進機構 理事長  中村 睦男 様
文化庁長官  近藤 誠一 様
文部科学大臣 平野 博文 様
北海道知事 高橋はるみ 様


旭川アイヌ協議会、アイヌ民族の権利を取り戻すウコ・チャランケの会、アイヌ・ラマット実行委員会、埼玉教職員組合、埼玉高等学校教職員組合、全国労働組合連絡協議会、石川洋子(ペウレ・ウタリの会会長)、弥永健一(数学者)、岩崎正芳(埼玉人権協事務局次長)、上原成信(沖縄一坪反戦地主会関東ブロック顧問)、宇梶静江(アイヌ・ウタリ連絡会代表)、小笠原信之(ジャーナリスト)、金 時鐘(詩人)、金 東鶴、辛 淑玉(被差別日系研究所)、谷口 滋(前東京教組委員長)、土井 彰(東京教組書記長)、中山千夏(作家)、朴 慶南(エッセイスト)、長谷川和男(「高校無償化」からの朝鮮学校排除に反対する連絡会事務局長)、平田 幸(レラの会代表)、松島泰勝(龍谷大学教授)、丸山未来子(おんな組事務局)、森本孝子(平和憲法を守る荒川の会共同代表)、梁 澄子(日本軍「慰安婦」問題解決全国行動2010共同代表)


抗議並びに申し入れ

 アイヌ民族に関わる貴官庁の努力に対する敬意とともに益々の発展を祈念いたします。
 
 さて、昨年12月以来、道議会において一議員が㈶アイヌ文化振興・推進機構(以下、財団)発行の小・中学生用副読本「アイヌ民族:歴史と現在―未来を共に生きるためにー」に対する質疑を繰り返すと共に、先住民族アイヌに対する差別と加害の歴史の改ざんに向けた政治介入が行われてきました。その結果、財団はそうした政治的な圧力に屈して327日付文書「平成23年度版『アイヌ民族:歴史と現在』について(通知)」を全国の教育委員会に送付し、副読本の記述の「修整案」を示して記述の削除と修整を求める異常な事態が進行しています。また副読本の編集委員会が解散させられ、現在、新たな編集委員の選任が行われています。そのことは、「修整案」にとどまらない今後発行される副読本の歴史記述の全面的な改ざんにつながるのではないか、その危険性が強く懸念されます。

私達は、こうした一議員、行政機関、財団などによる副読本への異常な政治的介入に驚くとともに、こうした強権的な歴史の改ざんをやめて早急に撤回することを抗議と共に強く要求します。

言うまでもなく、私達は副読本が子ども達にとってよりわかりやすく正確に記述されることを拒むものではありません。これまでも副読本の改善は重ねられてきましたし、その結果、とりわけ現行の副読本は内容も充実してわかりやすく、新聞でも報道されたように配布希望者が急増して在庫が足りなくなるなど社会的に高評価を得ていました。それは、現行副読本の編集委員会が、アイヌ民族当事者や現場で教育実践を積み重ねてきた教員で構成されていたことと無縁ではありません。そうした成果が、不当な政治介入で無にされることを私達は恐れます。もし、仮に修整が必要な点があるならば、政治的圧力のない環境の中で、アイヌ民族の意見を尊重し編集委員会の義務と責任において真摯に議論され行われるべきです。

 今回の「修整案」では、小学生用副読本に関して6か所、中学生用副読本に関して5か所の削除・修整が示されています。(その中には、用語の正確化など前述のように修整が検討されても合理性のあるものも数か所あります。)
 
 同議員は道議会の質疑において、小学生用副読本の「1869年に日本政府は、この島を『北海道』と呼ぶように決め、アイヌの人たちにことわりなく、一方的に日本の一部としました」との記述をやり玉にあげて「アイヌの方々が先に北海道に住んでいて、それを日本人が奪ったという誤った認識が広がっているので、それは違うとしっかりと広報してもらいたい」などと発言しています。それは道庁の「北海道本島は日本固有の領土」(19931月・参議院の政府答弁書)との答弁も踏み台にしたものです。その結果、副読本の「修整案」では「一方的に日本の一部とし」の部分が小・中学生用共に削除が求められています。これは後述のようにアイヌ民族に対する差別であり加害の歴史の改ざんに他なりません。

道庁の議会答弁では「日本固有の領土」論の根拠は、「ロシアとの国境画定において我が国固有の領土であることが前提であった」(同答弁書)ことにおかれています。しかし、20079月に『先住民族の権利に関する国連宣言』が第61期・国連総会で採択され全ての国がこれを受諾している現在、この先住民族アイヌの存在と「自決権」(同宣言第3条)を否定する主張の差別と不当性は国際的にも一層明瞭になっています。こうした先住民族差別は世界の先住民族に共通する経験であり、国連宣言ではまずそうした先住民族の国境内植民地化を「歴史的不正義」と断定しています。

道議会でのアイヌ民族への加害の歴史を全面否定し、歴史を逆戻りさせるような主張と政治的圧力、それに言われるがままの感のある道庁の地方自治体としての独自の責務の放棄、それを指示する関係行政組織や財団の対応はアイヌ民族に対する差別そのものです。同答弁書の中には「具体的にいつ我が国の領土になったかは明らかではない」「(アイヌが)古くから住んでいたことは文献等で通説になっている」などと政府自ら主張の不当性を示す記述をすでに行っています。

また同議員は「国連が先住民というのと我が国がいう先住民は違う」と発言していますが、歴史の改ざんをやめ、アイヌ民族を真に先住民族として認めることこそが、アイヌ民族と日本人が対等・平等で人間的な信頼関係を切り結ぶ出発点です。これは人種差別撤廃条約を批准し、現在、同委員会から「国連宣言」の規定した全般的な権利の実施の検討を勧告(20104月)されている日本政府の責務でもあります。
 
「修整案」はさらに、小学生用副読本の「・・・抗議してきました。アイヌ民族のうったえによって1997年に②だけは『アイヌ文化振興法』と呼ばれる法律になりました」の文章で「アイヌ民族のうったえによって」の削除を示し、また、中学生用ではアイヌ福祉対策に関して「この政策は国ではなく、北海道が行うために、これらの制度は北海道内だけで実施されるという矛盾を生んでいる」との記述を「これらの制度は北海道内だけで実施されている」と修整することが示されています。これらはアイヌ民族の独自の存在を否定し、また現行のアイヌ対策の国による差別制度の責任を棚上げするものです。

 私達は、本来、副読本(教育)に対する強権的な政治的介入は許されるべきものではないと考えますし、この間の異常な政治介入で進められている副読本の歴史認識の削除・修整が、アイヌ民族と日本人の子どもたちが「未来を共に生きるため」の歴史観を培うとはとうてい考えられません。このアイヌ民族に対する歴史の改ざんは、先住民族差別を温存し日本人を歪めるものです。これはまさに日本人問題です。副読本に関わる行政組織・財団は、早急に副読本に対するあらゆる政治介入をやめ、歴史認識の改ざんを撤回し、アイヌ民族を真に先住民族として認め、正しい歴史観を培うことのできる副読本の発行と施策を行うことを強く要求します。




2011年2月27日日曜日

4・3講演集会「世界から見た日本―多民族多文化共生の現在」にご参加を!!

先住民族アイヌの権利回復が最大のピンチを迎え、また朝鮮学校の無償化からの排除、沖縄民衆の意思を蹂躙する米軍新基地建設の動向など、日本政府自らが先住民族・マイノリティーの権利はく奪をけん引する深刻な事態が進行しています。こうした事態に対して、私達は「国連人種差別撤廃委員会の勧告を実現!」を掲げて2月19日に集会を開催し、アイヌ・「在日」・沖縄、そして日本の民衆が日本の根っこの問題として繋がり声をあげてきました。

そうした中で、日本人・日本社会の民族排外主義の根幹にある単一民族国家観(皇国史観)を克服するために、日本近代を見つめなおし先住民族・マイノリティーの共通の困難と差異に関する認識を深めることの大切さを実感しています。先住民族の権利回復の中心は、「特に生得の権利である土地と資源、そして領域」の回復です。台湾・朝鮮・中国等への植民地支配は認識しながら、先住民族アイヌの権利回復に無関心な日本人・日本社会のありようは、単一民族国家観(皇民化)の根深さを如実に表しています。また、そのことがアジアへの植民地支配・同化政策への日本人の無責任さを支え強めています。私達は近代天皇制国家のアイヌ・アジアに対する植民地支配・同化政策の徹底した歴史的責任の追及の中で自らの歴史を取り戻し、それを克服することが求められています。4月3日には、そうした問題意識をもちつつ森原秀樹さん(反差別国際運動(IMADR)・前事務局長、アムネスティ・インターナショナル日本元スタッフ)と宇佐照代さん(レラの会)を迎え、「世界から見た日本」をテーマに講演集会を開催したいと思います。ぜひ、ご参加ください!!アイヌの歌舞、トンコリ演奏も予定しています。